Mr. & Mrs. Abe Arts & Culture Prize Winner
梅月夜(うめづきよ)/利賀 雄三
【プルムエ】オープン
豪華絢爛な祭り屋台や江戸時代の町屋が残ることで知られる飛騨高山の一角に、『プルムエ』が二年前にオープンした。
オーナーは、オープン前の一年前に還暦を迎えた香坂史郎(こうさか しろう)である。還暦を迎える時、日本の文化を探求していく仕事をしてみたいと一念発起して、日本茶の専門店を開業したのである。それまでは、自然の中へ入って調査などをするフィールドワークが中心だったため、仕事のスタイルや内容がガラッと変わってしまった。
日本茶専門店というと、抹茶や和のスイーツなどを提供する和風喫茶を思い浮かべる人が多いかもしれない。だがこの店ではスイーツなどは取り扱わず、煎茶の茶葉の販売に力を注いでいる。ただ茶葉の販売に当たってテイスティングが必要なため、数人が煎茶を楽しめる喫茶スペースが確保されているだけだった。
その『プルムエ』での一コマを紹介する。
【古(いにしえ)の昔の花見は?】
『プルムエ』で提供される煎茶は、すべてお茶の生産地として有名な静岡県産であり、煎茶が一〇種類、ほうじ茶が二種類、玄米茶が一種類揃えられている。この店で扱っている全ての煎茶の特徴は、最近愛好家が増えてきている品種茶であり、まるでワインを楽しむかのような感覚で、一品種ごとの異なる味や香りを楽しむことができることである。
お茶につけられた商品は【幾夜寝覚(いくよ ねざめ)】、【緋の司(ひのつかさ)】、【田毎(たごと)の月】などであり、それぞれのお茶のイメージに合った梅の品種名から選択されている。例えば、幾夜寝覚の名前の由来はこのお茶を一口飲むと、優美な風味が口とは言わず体中にフワッと広がる感じがあり、寝ても覚めてもこのお茶のことが忘れられないことが由来になっている。そして【緋の司(ひのつかさ)】は、口に含むと口中に桜餅の香りでいっぱいになり、早春の華やかな香りで満たされる。そのイメージから、華やかなイメージを持つ名前がつけられている。
初めての来店者に、お茶の商品名が梅の品種に由来していると説明すると、ほとんどの人が驚いた表情で史郎に尋ねる。
「梅の品種って、そんなにあるのですか」
史郎はやはり、梅について知らない人が多いなぁと少し落胆した後、その理由や背景などを丁寧に説明していく。
「そうなんですよ。梅の品種はたくさんあって、三〇〇種とも四〇〇種とも言われているんです。花を楽しむだけの梅に加えて、梅干しなどでその実を利用する実梅(みうめ)の品種もたくさんあるんです。
そして梅は昔、花見と言えば梅というように、日本人に一番親しまれてきた花のひとつだったんです」
すると、
「でしたら、少し肌寒い頃に花見だったんですか。ポカポカと温かな陽気に誘われて、桜のように花見をするという文化ではなかったんですかね」
「そうだと思います。雪が解けて、日差しが強くなり始めた頃に、一番に咲く梅の花を観賞していたんですね。飛鳥、奈良時代の貴族たちは、一足早く春を楽しんでいたことだと思います。誰よりも早く、春の訪れを肌で感じとり、そして楽しんでいだということでしょうね」
そのように説明すると、
「そうですよね。季節は違っても、『秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる』つて、まだ残暑が厳しい中に、秋の風を感じたという立秋の歌もありますものね。早め早めに季節を感じることがその頃の貴族の間ではステータスだったんでしょうね」
と、日本人が持つ季節の移り変わりに敏感な心に共感してくれる方も少なからずいる。
さらに史郎は、梅と日本人との関わりについて、簡単に解説を続けていく。
「先ほども話に出た花見ですが、今では桜が花見の花ですよね。でも、古代飛鳥(あすか)、奈良時代の花見といえば、梅だったんです。平安時代になってから、花見は梅から桜に取って代わられたんですね」
花見の歴史を説明すると、知らなかったと答える人がほとんどである。
「かつては、梅が花見の花だったんですか。桜が主流になったのが、平安時代からとは知りませんでした。何故、花見が梅から桜へ変わってしまったんですかね」
梅だった花見が、何故桜の花見に変わったのかと、変化していった理由を質問してくる人も少なくない。
「日本という国が形作られ始めた飛鳥、奈良時代は、隋(ずい)や唐(とう)の文化に追随していたのです。遣隋使や遣唐使を隋や唐へ送って、それらの国々の文化や政治制度を取り入れようとしていたのは、顕著な例だと思います。そのように中国に倣(なら)った国づくりから、平安時代になると日本独自の文化を形成していったんです。平仮名ができたのも、平安時代でしょ。平安時代の独自の文化形成の中で、花見も梅から桜に移り変わって行ったといわれているんですよ」
平安時代になって、花見が梅から桜へ変わっていったという史郎の話に、興味深く聞き入る人が意外に多い。
また、史郎が梅の花が好きだというと、桜ではなくてどうして梅に興味があるのかと不思議に思ってしまい、それだけ聞くと古めかしさを感じてしまう人も少なくないようだ。
だがそんな古めかしいイメージとは裏腹に、史郎はなかなか合理的な考え方を持っている。ただ、この年代の男性の特徴として、若いころから仕事一辺倒の生活を送ってきていることが多く、史郎も仕事が趣味だと言ってはばからなかった。今の仕事を始めるまでは、ゆっくりとお茶を楽しむこともなかったことが、変な自慢のひとつでもあった。
【六種(むくさ)の薫物(たきもの)のひとつ梅花(ばいか)】
睦月・一月も終わりの週末。山際龍次(やまぎわ りゅうじ)が店に入ってくるなり、史郎に尋ねてきた。
「史郎さん、この甘いような酸っぱいような仄(ほの)かで上品な香りはいったい何ですか」
「分かりましたか。開店の一時間前に、六種(むくさ)の薫物(たきもの)のひとつである梅花(ばいか)をテーマに、自分で調合してつくった練香(ねりこう)を焚いていたんです」
「六種(むくさ)の薫物(たきもの)って、平安時代の貴族が季節ごとに調合し、香りを楽しんでいたという練香ですね」
「龍次さん、よくご存知ですね。練香や六種(むくさ)の薫物(たきもの)をご存知だという若い男性は珍しいですよ」
「いやいや、そんなことはありません。母がお香を焚(た)くことが好きで、たまたま六種の薫物について聞かされていたんです。でも、よい香りですね」
「ありがとうございます。この香りは、わたくしが調合したものです」
「えっ、史郎さんが調合されたんですか。史郎さんのことですから、銘(めい)を考えられているじゃないですか」
「(そうなんですよ。私なりに、銘(めい)を考えて調合しました。その銘(めい)を『梅月夜(うめづきよ)』と名付けました。これはまだ少し肌寒い早春の夜に、窓を開けると冴えた月が青白く輝いている。少し震えながらその月を眺めていると、どこからか甘酸っぱい梅の花の香りが漂ってくる、という早春の夜の情景を思い浮かべながら調合した練香なのです」
「優雅ですね。分かりました。それで、甘いだけではなく、酸っぱさを感じる香りなんですね。その練香の銘はとても風情があり、そして今伺った情景にぴったりの香りですね。とても、よい香りだと感服しました」
「ありがとうございます」
「この練香とは、お線香のように火を点けるお香ではなく、温めて使うお香なんですよ ね。だから、煙臭さがなく、さらに上品さが感じられるんですね」
「さすが、よくご存じですね。お母さまから六種の薫物についてレクチャー受けていただけのことはありますね」
「お店に足を踏み入れた瞬間、梅の香りが漂ってくるって、これからやってくる春が感じられて、とてもよいですね。」
【プルムエの由来】
梅花の香りを楽しんだ龍次が、またまた首を傾げて史郎に尋ねた。
「そういえば、この店の茶葉は梅の品種名が付けられているんですよね。先ほどの『梅月夜と名付けられた梅花の練香といい、この店は梅に関連した事柄で埋め尽くされていますね。もしかして、『プルムエ』という店名も梅に関係しているのですか」
「さすが龍次さんだ。鋭いですね」
「ありがとうございます。ですが、どうしてプルムエになったかは、いくら考えても分からないんです。私の中で謎なんですよ」
「それは簡単なことです。学名ですよ。梅の学名は Prunus mume(プルムス ムメ)なんです。そこから取りました。それが由来です」
「なんだ、学名が由来だったのですか。それにしても、史郎さんは、梅が好きなんですね。どうして桜じゃないんですか」
「それは一口で言い難いのですが、あの華やかで主張が強い桜に比べて、しっとりと情緒があること、まだ肌寒さが残る早春に甘酸っぱい香りが漂い、春の扉が今開かれ始めているという感覚を持つことができるということですかね」
「史郎さんらしくなく、ロマンチックですね。史郎さんは、もっと理科系っぽいのかと思っていました。それで、この店は梅で溢(あふ)れているんですね。ありがとうございました」
第一回 Mr. & Mrs. Abe Arts & Culture Prize
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第一回Mr. & Mrs. Abe Arts & Culture Prize 受賞作品(1枚目)
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