Mr. & Mrs. Abe Arts & Culture Prize Winner

 

春一番/草為

 梅の香りをかぐと、ある人を思い出すんだ。
それは旅先の、駅でのこと。町並みを後にして改札へ向かっていたところ、改札機でまごついている人を見かけたんだ。ショートボブで、リュックを背負った、小柄な女の人だ。
無関心の極地か、それとも、ある種の親切心か。周りの人たちはまごつくその人を避けて、他の改札機を通過していた。
その人の左手側に、揺れる尻尾を見つけた。小麦色の犬だ。垂れ耳の大型犬だったから、ゴールデン・レトリーバーだと思う。
ハーネスをつけていることから、その犬は盲導犬だとわかった。つまり、その人は視覚障がい者ということでさ。
あの人が早く改札を通れますように、と私は祈った。恥ずかしながら、目の見えない相手をサポートしたことがなかったんだ。そういう場合、正しい声のかけ方があったはずだけど、まるで忘れてしまっていたし。だからといって、困っている相手を無視することは、良心の呵責があったから。
私が改札口に近づく間、その人はICカードを、何度もタッチ部に当てていた。でも、改札機のドアは閉まったまま微動だにしなかった。盲導犬の尻尾は、ぱたぱたぱたと、不規則なリズムを刻んでいた。
正直、どうしようか迷ったよ。だけれどその時、盲導犬がくるりと振り向いたんだ。つぶらな瞳は、私にこう訴えてきた。「どうにかしてくれ」、と。
気のせい? そうかも。でも、盲導犬は吠えられないと聞くし、声を出さずに助けを求めるにはアイコンタクトが一番だと、その子はわかっていたのかもしれないじゃない?
助けを求められたら、応えないわけにはいかないよね。
ということで、私はその人のもとに向かった。正しい声のかけ方は思い出せずじまいだったけど、とりあえず、びっくりさせなければいいかと思って、そっと声をかけた。
「すみません、大丈夫ですか?」
そう聞いた後で、私は失敗したと思った。周りが音だらけなことに気づいたんだ。こんな場所で、名前も言わずに小声で声をかけて、誰も気づくはずがないって。
でも、そんなことは杞憂だった。
「改札が通れないのよ。どうすればいいかしら?」
その人は答えた。まるで、自分にかけられた声は聞き逃さないようにしているみたいに、俊敏に。
「失礼します」
わたしはその人の肩をつかんで後ろにさがらせて、改札機から二歩ほど距離を取った。そして、その人の持っていたICカードをつかんで、タッチ部に当ててみたんだ。
ピッ、と軽やかな電子音とともに、扉が開いた。
「どうぞ、入れますよ」
「ありがとう!」
無事に改札を通ったその人を見て、私は誇らしくなった。
今日は気持ちよく眠れる、なんて勝手なことを思いながら改札を抜けると、その人は振り返って、こちらを待つかのように立ち止まった。
「ちょっといいかしら」
と、その人は言った。「聞きたいことがあるんだけれど」
「なんですか?」
「改札を抜けた先に、おみやげ屋さんがあるって聞いたの。どこかご存じ?」
知ってたよ。その店はリサーチ済みで、私たちがいる場所から見えるところにあったしね。
私は店を指さそうとして、それが意味をなさないことに気づいた。ならば道案内をするしかないんだけれど……、わかるでしょう? 道案内が苦手な私に言われたら、わかるものもわからなくなってしまう。
私がとれる行動は一つだけ。
「ちょうど、私もそこに行こうと思ってたんです。一緒に行きませんか?」
嘘じゃないよ、寄ろうとしてた。
でも、申し出た後、私ははたと思った。どうやって案内すれば?
悩んでいても仕方ないから、私は素直に伝えることにした。
「あの、私は、その……、目の見えない方を案内するのは初めてなんです」
「あら、そうなのね」
その人は気にした様子もなく、「大丈夫よ。わたし、目の見える方に案内されるのは慣れてるもの」
「そ、そうですか」
「ええ。じゃあ、ほら、わたしの右側に来て。反対を向いて」
指示されるままに私がその人に背を向けると、その人は私の左の二の腕をつかんだ。
「これでいいわ。行きましょう」
その時、小さいながらも低く、うー、と声がした。盲導犬がうなったんだ。
「なんだか、ワンちゃんが不満そうなんですが……」
私は、盲導犬の様子を探りつつ聞いた。
「気にしないで。あなたに案内を任せたから、自分は置いていかれると思ってるみたい」
その人は盲導犬をなでて、「大丈夫よ、フーガ。一緒に行きましょう」
盲導犬ことフーガは、尻尾をリズミカルに振った。
「じゃあ、歩きますね」
そう言って、私は歩き始めた。雪道でもないのに、一歩一歩に意識を配りながら。
初対面の相手に案内されるなんて不安だっただろうに、その人は確かな足取りで歩いていた。フーガの方はというと、変わらず辺りに目を配っていたけれどね。
すぐそこに見える、店までの距離が遠く感じたよ。
私は慎重に自動ドアを通って、店に入った。そこは地元の特産品や地域限定のお菓子などが売られている場所で、大きな通路を挟んで、色んな品物が並べられていた。
休日だからか、店は混雑していた。一人ならなんてことのないことでも、その時の私たちにとっては残念ながら、歩きやすいとは言えなかった。
ただ、フーガに気づいて道を開けてくれる人も多くてね。どうにか進んでいる間、周りから何度も「かわいい!」という声を聞いたよ。
「何を買いたいんですか?」
私は訊ねた。買いたい物だけを目指して、混雑の中を進もうという魂胆だった。
その人は悩むように「うーん」と言った。
「特に目当ての物があるわけじゃないのよ。何が置いてあるの?」
「え? えーっと」
その時の私の困惑がわかる?
棚に平積みにされたお菓子の箱たち、離れたところに見える衣類、冷蔵庫の中の飲み物や食品……。そこにある物を説明するだけで、優に一時間はかかりそうだった。おまけに辺りは人だらけで、見て回るのは難しい。
私は悩んだ末、見える範囲でピックアップして紹介することにした。
「お菓子がたくさんあります。サブレとか、ブッセとか、おまんじゅうとか。ジャムもあります。冷蔵庫には生ものがあります。食べ物以外だと、服、バッグ、ハンカチ、スカーフなんかもありますよ」
私は目を皿のようにして売り場を眺め、「ああ、あと、紅茶がありますね」
「紅茶?」
「ティーバッグの紅茶です。色々ブレンドしてあるみたいですけど……、近づいてみましょうか?」
「そうね。お願いします」
私はゆっくりと紅茶売り場に近づき、ポップに書かれている説明書きを読んだ。
「地元で栽培された梅をふんだんにブレンドした紅茶、だそうです。ティーバッグの見本がありますよ。手に取ってみますか?」
「ええ」
私は左腕から外したその人の右手に、ティーバッグを置いた。すると、その人はティーバッグを鼻に近づけた。
「本当ね、梅の香りがする」
「一箱十個入りで、千円だそうです」
「そう。じゃあ、これにするわ。一箱ちょうだい」
「わかりました、レジまで私が持っていきますね。見本は戻します」
「ありがとう。……あなたは何を買うの?」
「ジャムにしようかと。特産品のフルーツを使ったジャムで、すごくおいしいってネットで有名なんですよ」
「へえ、そうなの」
その人も興味が引かれたようだから、私はジャム売り場までその人を連れて行った。ジャムの瓶を持たせて値段を伝えると、その人も買うと言って。結局、私は紅茶を一箱とジャムを二瓶手にして、レジへ向かった。
もうその頃には、私も覚悟が決まっていた。ここまで来たら、その人が電車に乗るまでサポートに徹しようってね。
だから、進んで会計も手伝ったし、その人が向かうホームを聞き出して案内したんだ。
「色々とどうもありがとう」
お礼を述べて私の腕から手を離したその人は、おみやげが入っている袋の中に手を入れた。がさごそと取り出したのは、梅の紅茶の箱。
指先で箱の表面を探っているのを見て、私は声をかけた。
「お手伝いしましょうか?」
「大丈夫よ」
ぴしゃりと言われたから、私は待つしかなかった。
器用に箱を開けたその人は、箱の中に入っているビニール袋をこれまた器用に開けた。甘く爽やかな香りが、ふわりと漂ってきた。
「いい香りですね」
「本当に。さっきかいだ時よりも香りが強いわ」
その人は袋の中のティーバッグを三つつかんで、「どうぞ、今日のお礼よ。ご親切にありがとう」
私は言葉を失ってしまった。
だって、そうやって分けてくれたということは、あらかじめ分けるつもりで買ったということで。それはもしかしたら、私におみやげが買える場所を聞いたその時から、その人は私にお礼をするつもりだったということじゃない?
そうだね、私の気のせいかもしれない。でも、そう思えて仕方なかったんだ。
ティーバッグを受け取った私が何も言えずにいると、その人は微笑んで、背負っていたリュックを自分の体の前に持ってきた。リュックの中におみやげを入れたかと思うと、リュックのポケットからスムーズにカードを取り出した。
カードには大きく名前が書かれていた。つまり、名刺だった。名前の左側にはフーガの顔写真が、名前の下には連絡先が書いてあった。
「友達になってくれたら嬉しいわ」
その人がそう言ってまもなく、ティーバッグから漂う梅の香りが、突風のように私へ吹き込んできた。春一番が、満開の梅の木を揺らしたかのように。
まあ、実際のところ、電車がホームに入ってきたからなんだけど。

もちろん、家に帰った後、その人に連絡したよ。梅の紅茶の感想も添えて。それから何度もメールでやりとりしててさ、今度、一緒にでかける予定なんだ。
そうだ、君も行く?
大丈夫。仲良くなる方法は同じだよ。
ね?

 

 

第一回 Mr. & Mrs. Abe Arts & Culture Prize

入賞作品

 

 その他の受賞作品

 

Our Story

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 ペットとの絆、猫への愛情

Mr. & Mrs. Abe Background of Creation

 
"Mr. & Mrs. Abe" is a new jewelry house that presents a unique world view and values through beautiful and high quality jewelry.
 
The creative director's original experience is the inspiration for his work, and he places great importance on his worldview.
 
 

Prunus Mume

The "Prunus Mume" collection, which we consider our identity collection, was inspired by the plum blossoms of Dazaifu, the hometown of our creative director.
 
The plum tree is a symbol of learning and knowledge because of its connection to Dazaifu and Sugawara Michizane, the god of learning, culture, and the arts, and it is also a symbol of talent and beauty because of its beauty and practicality.
 
It is also a symbol of perseverance and foresight because it blooms at the end of winter.
 
 
 

Pet Jewelry

私たちのペットジュエリーコレクションは、愛する小さな家族のための、本物のジュエリーです。
 
Made of platinum & lab-grown diamonds, these products are made with the highest attention to material and design, and can be used as both memorial goods and fashion items.

As a fashion item:
The design and quality are such that not only pets but also their owners can wear them. It is also possible to enjoy coordinating with other pets.
 
As memorial goods:
This is a way to preserve the bond and memories of your pet in the form of jewelry, and to engrave them as a memory forever.

Therefore, our pet jewelry can offer a completely new value to previous items and services.
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Story behind Our Items

In addition, all of our products are made by hand, one by one, to order, in our historic workshop in Yamanashi Prefecture.

For this reason, it usually takes about 1.5 to 2 months from the time of order to ship. We are in the process of building a system for shipping outside of Japan. Please consider using an import agent when purchasing from outside Japan.

 

Mr. & Mrs. Abe