プラナスミューメ特別賞

 

子犬のウメ/齊藤 想

  その子犬を拾ったのは、雨の日の朝だった。子犬は、ゴミ捨て場の段ボールの中に、衰弱した体を横たえていた。
 飼主も、子犬を捨てることに気がとがめたのだろう。ゴミ捨て場を選んだのは屋根があって雨を避けられるからだろうし、燃えるゴミの日を選んだのはゴミを捨てに来る人が多いからだろう。
 今日ならだれかが拾ってくれる。子犬を捨てる行為には怒りを禁じえないが、最低限の良心は感じる。悪い飼主なりに葛藤があったのかもしれない。
 書置きは何もなかった。名前はまだないようだ。
 ぼくは置いてあった毛布で子犬をくるみ、親に見つからないようにして家まで持ち帰った。
 ぼくは子犬に「ウメ」と名付けた。ふわふわの白毛に、散在する黄色いめしべのような模様が、まるで満開の梅園のように見えたからだ。
 ウメに朝食の残りを食べさせると、すぐに元気になった。冷たい体が徐々に温まってくる。ウメは前足で顔を洗うと、興味深そうに部屋の探索を始めた。
 ぼくの部屋は様々な道具やパーツが散乱している。ウメは色とりどりのコードをまたぎ、放り投げられたプラスチックの切れ端の匂いを嗅ぎ、紙やすりを咥えて楽しそうに振り回す。
 3Dプリンターに突撃しそうになったときは、さすがにウメの体を抱え込んだ。ウメは不満そうに濡れた鼻をぼくに押し付けてくる。
 ウメのために少し片付けないとな、と思い始めたとき、ノックの音が聞こえた。ぼくはウメを毛布にくるんで、じっとさせる。
「タカシや。朝ごはんは食べたのかい」
 母の声だ。ぼくは沈黙で返す。ドアにはカギが掛かっていて、母が入ることはできない。
「いままでタカシには自由にさせてきたよね。芸術家を目指すといっては高価な絵筆を注文し、マンガ家になると言ったらペンやトーンを揃えた。いまはロボット制作だったね。研究は進んだのかい」
 ぼくは口を閉じる。ドア越しに母の声が続く。まるで、ドアが独り言をつぶやいているようだ。
「たまには声を聴かせてくれよ。顔を見せてくれよ。必要なものがあれば、母が買ってきてあげるから」
 ぼくはあらかじめ用意していたメモに少し書き足すと、ドアの隙間から母に渡した。専門的な電子部品が並ぶ。確認のために母は順番に読み上げるが、最後の項目に母の声が裏返った。
「ドックフードに自動給餌機に犬用トイレって、あんた、犬を飼い始めたのかい。散歩はどうするのだよ。生き物を飼うのは、大変なことなんだよ」
 母親という生物は、いつも余計な心配をする。ぼくがドアを蹴り上げると、驚いたウメが鳴き声を上げる。母も気がついたようだ。
「タカシねえ……」
 母はため息をつくと、ドアから離れたようだ。足音が徐々に遠ざかる。
 しばらくして、母は外出した。聞きなれない電子部品について、専門店に相談するのだろう。
 ウメがふっと、机に登った。落ちたら危ない。ぼくは机の横に立ち、ウメを抱き寄せる。
 机のすぐ前はガラス窓だ。窓から道路を見下ろすと、通学中の高校生が群れながら歩いている。無邪気な男子生徒たちの声に混じる女子生徒の嬌声。色とりどりの傘の波が、広がっては集まる。
 そのなかで、ひときわ目立つ花柄の傘があった。その傘はふっと動きを止めると、ぼくの家を見上げた。一瞬だけ、女子生徒と目が合う。長い黒髪が目に焼き付く。
 彼女に向かって、ウメが愛おしそうに鳴いた。
 なんだ、あの女は。ぼくの中に猛烈な嫉妬と怒りの感情が沸きあがる。
 絶対にウメは手放さない。
 窓をカーテンでふさぐと、ぼくはウメを抱く腕に力を込めた。

 母に頼んでいた電子部品は、一週間後に届いた。手に入ったチップに、独自に開発したAIをインストールする。
 ぼくが作っているのは、犬型ロボットだ。二足歩行より四足歩行の方が制御は簡単だ。試しにスイッチを入れると、ガチャガチャと騒がしい音を立てながら円を描くように歩き始めた。
 画像センサーで大きな障害物は自動で避けるようにしている。だが、何を避けるべきかの判断基準がまだ定まっていないので、実験用のブロックに何度もぶつかる。
 ウメはロボットを遊び相手と思っているようだ。ロボットの周囲を走り回り、何度も衝突してロボットを転ばせる。
 AIには自動学習機能を搭載している。障害物にぶつかり、ウメに転ばされるたびに、安全に歩けるルートを学んでいく。とはいえ、自分が書ける自動学習のプログラムは基礎的なものだ。ロボットが安全に歩けるようになるまで、だいぶ時間がかかるだろう。
 ぼくは犬型ロボットに、サクラという名前をつけた。もちろんウメとセットにするためだ。
 あの女子生徒と目が合ってから、窓ガラスには一日中厚いカーテンを引いている。それでも、ウメは時間になると机に上がり、窓の近くに寄る。まるで、渋谷駅のハチ公のようだ。
 飛びあがれないサクラは、机の下で待ち続ける。ウメは朝の儀式を終えると下りてきて、サクラと遊ぶ。最近では、サクラはウメのマネをしてお辞儀やお手を覚えた。予想よりサクラの成長は早い。これもウメの効果だろうか。
 朝になると、母がドアの向こう側にやってくる。
「なあ、タカシや……」
 いつもと同じ会話。進歩のない話。サクラでさえ、日々進歩しているというのに。
 ぼくはいつものように必要な部品リストとドックフードと書いたメモを母に渡す。求める部品は徐々に高価になっている。トータルでかなりの額になっているはずだ。それでも母は文句のひとつも言わない。
 息子の才能を信じてる大馬鹿なのか、それともわが家の経済に余裕があるからなのか。
 メモを読み上げる母は、また素っ頓狂な声を上げた。
「この医療用メスってなんだい? それに厚手のビニールシートにバケツって。あんた、もしかして……」
 誤解をされると困るので、仕方なく答える。
「リスカなどしない」
「ああタカシ……」
 母が喜びの声を上げる。息子の声を聞けたことが、それほどまでに嬉しいのか。母の声が高くなる。
「タカシや、それともうひとつ。先ほど、高校生ぐらいの女の子がうちにきてね、子犬を探しているんだって」
 あの花柄の傘を持った女だ。心臓が高鳴る。
「丁寧にチラシも持ってきてね、全身が白くてふわふわで、まるでウメの花のような模様があるからすぐに分かるはずだって。タカシが飼い始めた子犬って、もしかしてと思ったんだけど」
 ぼくは無言を貫く。あの女がなんだというのだ。子犬を捨てておいて、いまさら取り戻そうとは身勝手にもほどがある。
 ウメはぼくのものだ。ウメをどう扱おうが自由だ。たとえ、体にメスを入れ、毛皮を剥いだとしても。
「タカシの子犬を、ひとめでもいいから見せてくれないかな」
 いつまでも居座ろうとする母に苛立ちを覚えて、ぼくはドアを強くけり上げた。ドアの向こう側で母が小さな悲鳴を上げる。
 サクラの完成は近い。あと、もう少しだ。

 燃えるゴミだけは自分で捨てに行っている。ゴミには研究成果が詰まっている。母にゴミの中身を見られるのが嫌だからだ。
 ゴミ捨て場にいくのは早朝だ。サンタクロースのように担いでいたゴミ袋を降ろすと、目の前に少女がいた。あの花柄の傘をもつ黒髪の女だ。
「あなた、私の子犬を持っているでしょ」
 藪から棒に詰め寄ってくる。心臓が跳ね上がるほど驚いた。ぼくは彼女を無視した。無視することしかできなかった。意味もなく空缶を蹴り上げる。
「ちょっと待って。私ねえ、あなたのことを知っているの。子犬を拾ったことも、ウメと名付けてくれたことも」
 母から聞いたのか。あのおしゃべり女め。ドアの向こう側で聞き耳を立てて、子犬にウメと名付けたことも知ったのだろう。見ず知らずの人間にベラベラとしゃべるなんて。
 足を早めても、女は追いかけてくる。
「犬のロボットを作っていることも知っている。毎日のように母親に買い物に行かせていることも知っている。部屋を厚いカーテンで閉じていることも」
 ぼくの体は、怒りよりも恐怖に震えた。なぜ知っている。この女は何者だ。いつしか逃げる歩様は速足に変わり、ついには全速力になった。
「私は貴方の敵じゃない。ふたりで力を合わせれば、もっと……」
 女の声が聞こえないほど振り切った。息が上がる。
 家に戻ると、玄関を締めてチェーンロックをかける。部屋に戻ると、ウメはサクラとじゃれあっていた。
 ぼくはウメを抱き寄せた。ウメが甘える鳴き声を上げる。
 ふっと、ウメがぼくの腕からすり抜けると、まるで憑りつかれているかのように机の上に飛び乗り、窓に額を擦りつけた。まるで、一心不乱にテレパシーを送っているかのように。
 いままでの疑問が確信に変わる。ぼくはウメに近づくと、丁寧に体中に指を這わせた。
「あった」
 ぼくは見付けた。それは、首の内側に隠されていた。毛皮の内側に、不自然な人工的なしこりがある。間違いない。ウメはバイオハイブリッド。これは、生物を使ったロボットだ。
 ウメが窓の外を見ていたのは、飼主を探していたからではない。飼主にデータを送信するためだ。捨て犬のふりをしてぼくに拾われるようにしたのは、犬型ロボットと接触することで新たな進化を産み出すとともに、貴重なデータを収集するためだ。彼女はぼくのゴミを見て、何をしているのか知っていたのだ。
 ぼくがカーテンを開けると、花柄の傘が目に飛び込んできた。花柄の傘が小さく前後に動く。その傘に向かって、ウメは小さな尻尾を振る。その姿は喜びではない。データを送信せざるを得ない、見えない鎖に縛られた、悲しみの姿だった。
 ぼくは医療用のメスを手にした。
 ウメの首元にある機械を切り取り、自由にしてやるために。

 

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