Mr. & Mrs. Abe Arts & Culture Prize Winner

 

未だ春は訪れず/橋門千里

 チューリップが好きだ。
果たしてこの世にチューリップが嫌いな人間などいるだろうか。ただ「咲いた咲いた」と節をつけて二度唱えられただけでどの種類の何色の花なのか、老若男女問わず脳内に思い浮かぶのはチューリップにしかできない芸当だろう。紙と鉛筆を渡して「チューリップを描いてください」と言えば九十九パーセントの人がそれだとわかる意匠を提出する。世の中には絵心が壊滅的な人間も存在することを留意しなければならないが、それでも何がチューリップであるのか万人が頭の中ではわかっている。ひと目見ただけで春の訪れを教えてくれる、それくらいわかりやすく身近な花なのだ。
そもそも、嫌われる花はあるだろうか。
毎年気温が心地よくなってきたころに花粉を撒き散らすスギのように、圧倒的に厄介がられるものも中にはあるだろうが、それでも花粉が嫌がられているだけでスギの花自体を嫌っているわけではない。それどころか、花粉が飛び散る瞬間のスロー映像を見たことはあっても、その元凶の形など誰も注視してはいない。
 花の名前をできるだけ多く挙げなければならない時、なんとなく耳に残るものを答えることは誰でもできる。例えば朝顔、ひまわり、カーネーション。もう少し言えるだろうか。菊に桔梗にマーガレット。
 ちょっと待って、本当にマーガレットの花を知っている? 何色でどの季節に咲くどんな花なのか。そんな名前の雑誌があること以外でマーガレットに対する確立した知識は持ち合わせている? もしそう尋ねられたとして、一体どれほどの人数が反論できるだろう。
 人は、ほとんどの場合において嫌いになれるほど花に対する興味を持ち合わせてはいない。花嫁が投げたブーケに必死の形相で手を伸ばして掴んでも、メインの真っ白な薔薇だけを知っていて、その周りを囲む小さな花々には幾ばくの感情も無い。そんなものだ。それでも人が生きていく上で何ら問題はない。
 梅が嫌いだ。
 私は、梅が嫌いだ。興味が無いふりも見ないふりもできないほどに、年々その想いは強まっていく。
 誰にも話したことはない。「わかる。あたしも梅大っ嫌い!」なんて言葉が返ってくるとは微塵も思わないからだ。
いや、一度だけちらと言ったことがある。その相手は「なんで梅? 別に変な臭いもしないし毛虫が降ってくるわけでもないでしょ。うちは玄関のジャスミンがとんでもなく匂うし毎年どでかい芋虫がうじゃうじゃ生まれてやばいの。ほんと家から出られないし入れない」とほとんど泣きそうな表情で返してきた。確かに彼女の家ののびのびと育ったジャスミンは芳しいを通り越した匂いを放っていたし、よく見ると緑の葉の影には茶色の太ましい芋虫が何匹も蠢いていた。そうはいっても彼女はジャスミンを嫌ってはいない。きっと株が枯れてしまえば大声をあげて泣くのだ。彼女はジャスミンを愛している。
私の家には梅の木など植わっていない。木を植える庭のスペースさえない小さな家。気が向けばポット苗を買ってプランターに移し替える程度で、たいていパンジーかビオラか見分けのつかないものかペチュニアが並んでいた。それらも愛着があるから選んだわけではなく、ただ手入れが簡単で鮮やかな色彩をもたらしてくれるためである。植物が何もなければどこか寒々しい、そう思うくらいの情緒は持ち合わせているらしい。そうはいっても、梅に対する苦々しい想いは消えない。
 近所で梅が咲くのは家から歩いて二十分ほどの寺院の梅園だ。神社だっただろうか、多分寺院だったとは思うが。寺か神社かも曖昧なくらいに、特別名の通った場所ではない。清水寺を神社だと言う人はいないだろう。それでも多少は歴史があって、敷地の奥まったところに小さな梅園がある。ぐるりと一周するのに十五分もかからないその場所が、私にとっての鬼門だった。
「さくら」
「去年も教えたでしょ」
「もも」
「ハズレ」
「うめ」
 まだ木を見上げても花の形がはっきりとわからず色だけでしか判別のできない背丈だったころの思い出が脳裏を掠める。
 桜、桃、梅。どれも木の枝に咲く、小さくピンク色の花。チューリップとは違ってぱっとひと目でわからない。少なくとも親に手を引かれて歩くような子供には。
「梅が咲いて、桃が咲いて、最後に桜が咲くの」
 そう言われるのとほとんど同じタイミングで梅の花が私の目の前に現れる。抱きかかえられたのだ。ぽつりぽつりと枝の先に花がついている。梅と言われたのだからこれは梅なのだろう。ちっとも頭には入っていない。花の名前よりもずっと気になっているものがある。私はその方角を指し示した。
「うめがえもち」
 梅林の出入り口から少し歩いたところに茶寮がある。ひらひらとはためく薄ピンクののぼりには梅ヶ枝餅と書かれていた。
「あんた、漢字まだ読めないのにそんなことばっかり覚えて」
 顔の横で呆れたような笑い声がそう言った。だって去年教えてくれた。ここに来た帰りにあそこのお店であんこの入ったお餅を食べた。「これは梅ヶ枝餅。本物は福岡で食べられる」と言ったのは誰なのか、私ははっきり覚えている。
「梅は覚えてないのに。花よりお餅ね」
 やがて薄ピンクの花は遠ざかり、私の足は地面を踏みしめる。もはや気持ちはあんこに絡めとられていたけれど、私の手を握るその人はいまだその場で花を見上げていた。手を取られたままでは駆けだすこともできないので、私もその場に立ち止まる。そよそよと、二月にしては穏やかな風が吹いてきて、いくつか花がこぼれていった。
ぽとり、私のつむじのど真ん中にそのひとつが着地する。自由な方の手で払い落そうとするも、なかなかうまく届かない。頭を振ってみる前に、白い指先がゆっくりと花弁を摘まみ上げた。
「きっと、来年も覚えていないんだろうね」
 静かな声がぽつりと呟く。花の名前のことだろうか。だったら覚えていないと思う。去年も今年も「花を見に行こう」と言われただけで、私が見に行きたいと言ったわけじゃない。手を引かれたからここへ来ただけでこの花には何も思っていない。興味も感情も大きなものは何一つない。
「まあ、仕方ないか」
 その言葉の後に、私の足は前へと進んで行った。また手を引かれたからだ。向かう先は一つしかなく、私の目はのぼりにくぎづけだった。
「来年もまた教えてあげる」
 摘まんでいた花を地面に落とすその声の、微かな揺らめきなど気が付くはずもなく、私はただついて行くだけだった。
 その来年は、無かった。
 私が薄ピンクの花を見に行くことも、その花の名前を教わることも、あんこの入った温かなお餅を食べることも無かった。どれだけ待っても、春夏秋冬を幾度過ごそうとも、来年は訪れなかった。
 木に咲くピンクの桜、桃、梅。
 桜だけは覚えた。よく考えてみると同じような木がそこら中に植わっている。小学校の校庭にも、通学路の街路樹としても、学年が上がる度に道路にピンクの絨毯が敷き詰められる。やがてこれが桜なのだとわかった。桜の木の下ではお酒を飲むこともそのうちに覚えた。
 でも、梅と桃はわからない。梅干しと果物の桃は知っている。それでも花はわからない。冬の寒さが解けはじめたころ、そんなもの温暖化の影響であてにならない。
「来年もまた教えてあげる」
 そう言った人は私の前から消えた。どうしていなくなったのか、誰に聞いても教えてはくれなかった。怒る人もいれば、私のことを憐れむような目で見る人もいた。でもとにかく私は待った。来年、あの人は私の前に現れる。また花を見に行こうと私の手を引く。そうしてあの梅園へ行くのだろう。待っているうちに私の朝顔は私の身長を超え、ひまわりが咲いた。知らない間にあの花は散っていった。
 どれだけ待っても約束が果たされることはなかった。私は手を引かれずとも歩けるようになったし、抱きかかえられるような身長でもなくなった。義務教育を終え、高校から大学へ、お酒も飲めるようになった。確固たる興味はなくても、両手以上の花の名前は答えられる。
 あれ以来、あの梅園へ行ったことはない。だからあそこに植わっているのが本当に梅であるのか知ることはない。梅園だと思っていた場所がその実桃園であったとしても、私にはわからない。
 できない約束などするべきではなかった。来年という呪いを私に与えたのは、ひとえにあの瞬間あの言葉だ。いくら待っても来ない人を待ち続ける、その終わりはいったいいつ来るのだろう。絶対に来ないと誰かが言い切ったとしても、どうして私の胸の奥底はその言葉を飲み込みきれないのだろう。
 私は梅が嫌いだ。忘れ去ることさえできない、頭に焼き付いた記憶を思い起こさせる梅が嫌いだ。それでもきっと来年を待ち続ける。ずっと来年を待ち続ける。

 

 

 

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